これは、町内会での仕事をすっぽかしてしまい、
急いでその穴埋めをした時の話です。
ご近所付き合いの意味について考えてみました。
皆さんの町内会の様子はいかがですか?
それは一本の電話から
今朝の話。
嫁さんに一本の留守電が。
「町内会の者ですが、敬老会の対象者さんたちの出欠確認を
お願いしていたと思うのですが、ご報告お願いします」
そういえば、5月末ごろに出た町内会の集会で、敬老会の話はしていた。
「こちらが対象者の方々のリストです」と渡されたのは覚えているが、
その方々に出欠の確認をしろ、だなんて言われただろうか…。
まぁ用紙をもう一度読み直してみると、そう書かれているんだからそうなんだろう←おい
しかも締切は6月15日。やばい、1ヶ月近く放置してしまった。
リストと言っても自分が出欠確認をする人数は7名で、
全員ご近所さんだったので急いでそれぞれのお宅を回ることにした。
近所を歩くだけではわからないこと
普段から近所を散歩したりしているので、
それなりに建物の位置関係だったり通りの景色なんかはわかっているつもりだった。
しかし実際にお宅を訪問するとなると、全く違う景色に出会うことになる。
いつも通りすがっていたお宅の玄関が入ってみると実はものすごく豪華だったり、
正面からは見えてなかった大きなガレージがあったりと、
一歩踏み入れないとわからないことってたくさんあるなと思ったり。
実際にお宅にお邪魔して会う方々も全員初めましてで。
もう2年近く今の家を建てて越してきているので、自分たちの生活自体には慣れているけれど、
まだまだ自分の住む地域について知らないことの方が多いと感じた。
回覧板の是非
ご近所さんとの付き合いはお隣さんと回覧板を回すくらいだ。
そもそもこの回覧板だって、とっても効率が悪い。
町内で連絡事項を共有するなら、メールや公式LINEなどを活用すればいい。
それをわざわざ、伝言ゲームのように回覧板を回すという手間のかかる方法を
いつまでも採用し続けている自治体がほとんどだ。
本当に何でなんだろう?これについて、是の要素を考えてみた。
連絡事項をお隣さんへ伝えるというのは、一種の責任が生じる。
町内会の連絡事項は、正直自分に必要なものであることは少ないが、
その重要性の大小に関わらず、次の人へ伝える責任の大きさは変わらない。
回覧板はその地域で生活する者に与えられた、言わば仕事だ。
この仕事を果たすことで、コミュニティは住民を「仲間」として認めてくれる。
面倒だろうが報酬が出なかろうが、
この当たり前の仕事をきちんとこなすことで、最低限の信頼を手にすることができる。
そしてもう一つは、住民が正常にそこで生活しているかの確認手段だろう。
回覧板が回ったということは、発信者は回覧板がその町内を順調に一周していたかを
確認できる有効な手段になり得る。
(私の地域には)回覧を回した日を自身の署名と共に記入する台帳も付いているから
誰がどれくらい自分の家で止めていたかなどもある程度わかる。
万が一送ったはずの回覧板が一向に戻ってこない事態が起こったのであれば
止めている家の者の身に何かあったのかも知れないと駆けつけることもできる。
回覧板を回すということは、自分が今も正常にその家で暮らしていますよという証明になる。
それは単に連絡事項を伝えるという目的を超えて、
住民の異変を地域全体で知る仕組みとして取り入れられているのかも知れない。
敬老会の出欠を取りながら感じたこと
話が大きく逸れてしまった。
敬老会の出欠を取ろう。
該当者のお宅を回ると、お年寄りということもあり、
平日の日中にも関わらず全員と会うことができた。
コロナで4年ぶりに開催されるということもあり、
主催者側は割と気合が入っていたが、やはり参加するお年寄り側は
- まだまだコロナが心配
- 妻が施設に入っている
- 他の家族に迷惑がかかるかも知れない
などの理由で欠席を希望する方がほとんどだった。
印象的だったのは、私が訪ねて行ったことで
「あなたは誰なんだい?」というニュアンスの質問が多かったこと。
「見ない顔だね」→これ初めて言われてちょっとテンション上がった笑
「どこの⚪︎⚪︎(私の名字)さん?」→田舎特有の、場所と名字を一致させる感じ
「最近越してきた?」→もう2年は経ってるけど、会ってないんだからそんなもんか
私はまだ、この地域の住民として認知されていなかった。
逆を言えば、この地域に生き続ける人たちからは、初めてみる新しい住民に敏感に反応し
どんな人なのかという認知をしたいという欲求を強く感じた。
まとめ
全員の出欠を確認し、自治会役員に連絡し、私の任務は無事終了した。
だいぶと締切から日が経ってしまったが「ご苦労様でした!」と労ってもらった。
集会の時に話聞いてなくて、すみませんでした…。
自治会というコミュニティの人間関係や役割分担って、
何か勝手に役割与えられる感じに抵抗があったのですが、
よくよく考えてみると、人間が共同体として生きていこうとする
古くからの知恵なのかも知れませんね。
早くこの地域の住民になりたいものです。



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